四年ほど前の、一九九九年に、終焉の地として造成半ばのこの住宅地に移ってきた。カンタンに出会ったのは転居してから二年目の夏である。
この昆虫の名は、中国の町、邯鄲（カンタン）に訪れた田舎出の若者が、ひと眠りするうちに、此の世の栄枯盛衰の夢を見て、人生のはかなさを痛感した「邯鄲の夢」の故事から付けられたと言う。
カンタンは、リー、リー、リー、と良く透る、澄んだ、どこか繊細で単調な音色で鳴く。全身、緑の薄絹をまとった体長一・五糎ほどの細身のこの虫は、鳴く虫の女王と言われている。カンタンの鳴く現場を確かめたのは、九月のある午後の、まだ明るい光が射し込む、レッド・ロビンを植えた生け垣の茂みである。
この住宅地は、以前、里山であった。そこから住宅地に多くの生き物が移り住んでいるようである。鳴く虫もカンタンのほかにたくさんいる。コオロギ類がとくに多い。
エンマコオロギ、ツヅレサセコオロギ、オカメコオロギ達は、カンタンが鳴き止むと、地表面で一斉に合奏し始める。カンタンもコオロギ達の鳴き声が低くなると、すかさず、リー、リー、リー、と地表面より一米ほど高いレッド・ロビンの垣根の茂みから鳴き出す。
雌雄のカンタンを捕え、レッド・ロビンの小枝を小瓶にさし、これを籠に入れて飼育した。ところが、さっぱり鳴いてくれない。五日たち十日過ぎても何の音もない、あれほど人を引き付けた声が聞こえない。
心配になって籠を開けて驚いた。ロビンの葉に多数の食痕が残り、数え切れないほどに散乱した糞を見て、唖然とした。
雄のカンタンは鳴く必要もその暇もなかったのか。雌雄で満足した日々を過ごしていたようである。
それにしても、カンタンは、レッド・ロビンの葉の上で独奏するのが好きなようだ。雌の関心を惹くのに最高の場所なのかもしれない。
ところが、不思議なことに、今年はカンタンの声を一度も聞かない。昨年はあれほどソロを聞かせてくれたのに、一体どうしたことであろう。
「栄枯盛衰も一夜の夢」を正に地で行くようである。何とも信じられない思いである。だが、コオロギ達は、相変わらず今年も合奏ならぬ雑奏を奏でている。
それにしても、今年は虫の音が奇妙に落ち着いており、静かだ。広葉樹林の丘陵を削りとった裸地に住宅建設が進み、草木を植え込む庭が増え、虫達の生活領域が拡がったためかも知れない。さらに、住宅地が拡大するとともに、昆虫をねらうハクセキレイの数も分散されたためかもしれない。
いずれにしても、この小さな生態系に変化が起きているようである。カンタンは「住み分け」の術を知っており、我が道を歩みどこかで独奏に精を出しているに違いない。 |
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